台湾旅行

1日目

研究から逃げたい意識の高い研究を続けるためにリフレッシュしたかったのでJTBのツアーに申し込んで台湾に行ってみた.
なぜか家にAmazon CAPTCHAがあったのでこれを持っていった.

まず失敗したと思ったのは台湾ドルを羽田空港国際線ターミナルにあるみずほ銀行で両替してしまったことだ.
台湾ドルへ両替するのはやはり現地がいいですか? - 両替について教... - Yahoo!知恵袋を読んでいたのだが,日本語が通じるところで安心して両替しようと思ってしまったからだ.
しかし,ぼったくられるレートは現地のホテルや空港にある銀行に比べてあまり良くないので可能な限り現地で両替をすべきであった.

そんなわけで羽田空港国際線ターミナルがオープンしてから初めての海外旅行に出発した.

到着したのは台北松山空港である.台北には別に桃園空港という大きな国際空港があるが松山と桃園の関係は羽田と成田と同じ関係のようだ.
到着するとそこには青天白日満地紅旗が翻っていて台湾というより中華民国へ来たんだなという実感が沸いた.

現地ガイドが我々をホテルまで送るためにバスへ誘導した.
まずバスに乗って思ったのは北京より全然交通マナーがいいことだ.
バイクが相当多くて歩行者より車が優先される法律らしいが生命の危機を常に感じた北京よりは安心だった.
(でもバスの運転手は三流はあの世,二流は海外へ,一流だけが台湾に残ってるということをガイドさんが冗談交じりで言っていたが・・・)
ホテルまでのガイドの兄ちゃんは屋台であまり飯を食べるなと強調していた.
水がやばいということと何かあっても屋台はどっかに行っちゃうから責任とってくれないよということらしい.
宿泊先はHOTEL RIVERVIEW TAIPEI(豪景大酒店)であった.

まだチェックインできる時間ではなかったので近くの繁華街である西門をうろついて昼食を食べることにした.

写真は繁華街で食べた半筋半肉麺.
牛筋がよく煮込んであってスープがうまかった.


昼食を食べてもまだ時間が余ったので国軍歴史博物館へ行ってみた.
なんと入場料無料で日本語の解説ボード付き.

黄埔軍官学校から現代までの国民党軍の歴史が展示してある.

日中戦争(抗日戦争)では「国民革命軍が戦った」ということを強調している様子だった.
北伐や日中戦争国共内戦と兵器のスペースになっていたが日中戦争と同じくらい
北伐と国共内戦に展示の力を注いでいたのには驚いた.

写真は鹵獲した寄せ書きされた日章旗

百人斬りをしたといわれる軍刀(まじで!?)
正直,日中戦争での日本の侵略行為や違法行為がばかり取り上げられているのかと思ったが
中華民国政府の正当性を示すために北伐と国共内戦についても相当力を入れた展示になっていた.


小火器も沢山展示してある.(曲がり角でも撃てる珍兵器もある)

プロパガンダを流すための拡声器まで兵器の類なんですね!

そして国軍博物館を後にすると再び西門周辺をうろうろしてスイーツを買ったりしてホテルへチェックインした.

次に向かったのは台北101という非常に高いビルである.展望台は観光スポットになっていて入場料は400NT.

超高速エレベーターで89階に向かうと既に日が沈みかけていたので夜景が綺麗であった.
展望台の順路に沿ってお土産等を冷やかしたり振動を抑えるダンパーを見たりして再び地上へ戻った.



それからガイドブックを頼りに小籠包を食べに行った.

明月湯包という店でかなりうまかった.


きなこ餅みたいなのを頼んだのだが流石に食いきれなかったので
「吃不完的能拿走〓?(ちーぶわんだのんなあぞぉうま?)」
と言って持ち帰り用につめてもらいホテルで食べることにした.

2日目

2日目は申し込んでいたツアーで観光地を巡った.
日本人10人くらいと台湾人のおばさんのガイドという集団.
家族できた人や学生などまさに老若男女という感じの集団だった.
まずは中正紀念堂へ向かった.

中正って何ぞ?って思ったが蒋介石の諱だそうだ.石が字.
孔明が字で亮が諱ってのと同じ.)


中正紀念堂蒋介石像.

像の前に配置されている衛兵.なんとこの衛兵は瞬きすらしない.
フラッシュ撮影でいじめちゃ駄目という注意があったにもかかわらず
他の集団はフラッシュつかいまくりで衛兵が可哀想だった.


写真は蒋介石の執務室を再現したものと公用車.
蒋介石の日本留学時に書き残した幾何学のノートなども展示されている.
蒋介石西安事件まで日本と戦いたくなかった理由がなんとなく分かった気がした.

全然関係ないが次の総統選では女性が民進党の代表候補らしい.
中華民国初の女性総統誕生かもしれないとガイドのおばちゃんが興奮していた.
それにしてもどの政党の候補も留学経験があって英語喋れる.しかも博士だったりする.
大丈夫か日本・・・

次に龍山寺に向かった.

ここでおみくじや占いをやったのだが,日本とかなり風習が違う.
占いはこちらがかなり細かい質問をしてそれに神様が答えてくれるという形式.
日本の神社のぼやけた感じの占いではないので面白かった.
その後,近くの町をうろついた後にホテルで昼食を食べた.

その後は圓山大飯店という千と千尋の神隠しの油屋のモデルになったホテルの前を通り
忠烈祠という戦死者の霊を祀った社に向かった.

衛兵の交代などが見れた.独特の動きに少し驚いた.

祖父と交戦したであろう国民革命軍の英霊に祈りを奉げた.

次は故宮博物院へ向かった.

紫禁城故宮と違って歴史的価値のあるものが本当に多い.
国民党の勢力が台湾に逃げるときに持ち帰ったものばかりだと思ったが
佐藤栄作夫人をはじめとした日本の有力者による寄贈も少なくなかった.
北京の方は文化大革命で相当数を損失したようだ.
ガイドのおばさんも台湾はこういう歴史的価値があるものは大事にするのだと誇っていた.
平日だったが相当混雑していた.土日で人が多いとガイドのおばさんも嫌になるほど混むらしい.
青磁翡翠,陶器,磁器など貴重なものがたくさんあった.
他に日本の降伏文書など近代のものもあった.

故宮でツアーは終わりだがガイドのおばさんが足つぼマッサージを勧めてきたのでホイホイ行ってしまった.
マッサージ屋ではベテランのおじさんが足裏を刺激してくれた.TOでカチカチだった肩がなぜかほぐれた.
どこが悪いか聞いてみたら「肩こってますね」って言われて感動した.

マッサージが終わった後に士林夜市に向かった.

とにかく市全体が臭豆腐のせいで臭い.牛舎のような臭さである.

こいつが臭いの元凶.豆腐を発酵させたもの.
ガイドのおばちゃんがバスの中で納豆に対する優越性を語っていたが
これはまじで臭かった.味と食感は厚揚げと同じだが口に入れたときの臭いでやばかったので
台湾ビールを注文して(我要一瓶〓酒)なんとかしのいだ.

なぜか初めてDIVAなどをここでやったりして夕飯を食べに行った.
夕飯はガイドに載っていた山西刀削麺という店に行ったのだがあまり俺の口には合わなかった.
(なんというか、北京クオリティー
なんとか食ってホテルへ戻った.

3日目

最終日は15時にホテルロビーに集合なので軽く市内を観光した.
まず総統府に向かったのだが時間が早かったので二二八平和紀念公園へ行ってみた.

二二八事件は国民党が台湾へ来てから最大の黒歴史だが総統府の目の前に公園がある.

ここでぶらぶらしながら時間をつぶして総統府へ向かった.

博愛路から入る.入り口で手荷物検査などを行なった.文民警官はなく憲兵が警備をしていた.
門では総統の政治に抗議するおっちゃんがいた.大陸だったら3秒でしょっぴかれるだろうな.

手荷物検査を終えるとボランティアのガイドのおばさんが現れた.
このおばさんは熱意がすごいがどこで日本語を覚えたのだろうか「あのなー・・・です」っと
丁寧語を喋りながらフランクな日本語を話していて面白かったがそんなことは瑣末な問題である.
総統府の1階は台湾の歴史になっていて「日本統治時代より前は清の領土だったけど近代化はされませんでした」
「日本統治時代に始めて近代化されました」っということが強調されていた.
どうも大陸からの観光客(?)にはそういう説明をしていなかったので国籍で案内する場面が変わってるのかも?
そして一番台湾で尊敬されている日本人は八田與一というダムを作った人らしい.
他にも児玉源太郎明石元二郎後藤新平が有名人らしい.とにかくインフラ整備に感謝していることが伝わってきた.
明石元二郎坂の上の雲の影響ですっかりハイパー工作員のイメージが俺の中で定着していたが台湾では電気を引いた人として認識されているらしい.
二二八平和紀念公園の近くの国立台湾博物館に児玉源太郎後藤新平の像があるらしいので行ってみることにした.


国立台湾博物館では台湾の原住民の文化などについて展示している期間であった.
台北帝国大学から人類学の学者が研究して原住民を色々分類していたようだ.
写真を見ると台湾の原住民はネイティブアメリカンというかアイヌというかそんな感じだった.

次に台北駅まで行って駅舎をうろついてみた.
高速鉄道も乗ってみたかったがもうあまり時間がなかったので改札まで行って様子をみただけだった.



台北駅の外観と駅舎内で行なわれていた展示.

そして駅から近くの四川料理専門店の樺慶川菜餐廳‎で坦々麺を食った.

台湾は全体的に甘いものが多いので辛いものを食べようと思ったが辛すぎて汗でまくりだった.

昼食を済ませた後は國立國父紀念館に向かった.
國父とは孫文のことでこれは北京政府でもそんな感じになっている.



台湾の歴史があるが1階が歴史を紹介していて2階などは絵画展などがカルチャーセンター的なスペースになっていた.
1階には台湾の主力産業である半導体のウエハが展示されているかとおもいきや孫文
「革命尚未成功、同志仍須努力」の書があったりした.


あとここには孫文の像があるので衛兵が警備していた.

これで最終日の観光を終えた.


感想としては

  • 飯が旨い.
  • 日本語とほんの少しの中国語が話せればあればなんとかなる.
  • 大陸に比べると物価は高いがそれ以上に安心.
  • 観光客に親切.

だったかな.
最後に台北101青天白日満地紅旗

Windows7にしたらM2N-Eのオンボードサウンドでサブウーファー(subwoofer)が鳴らなくなった件

2007年8月にASUSのM2N-Eで組んだPCを未だに使ってるわけだがタイトルの件で困っていた。

XPのときは2chの音源でも5.1chで音が鳴っていた。

去年の12月にSSDWindows7(64bit)を入れて使い始めたのだがスピーカーフィル設定にしているのにウーファーだけが鳴らない。しかしサウンド→SoundMAXを選択して構成をクリックしてサブウーファーをテストするとちゃんと鳴る。

しかし何をやっても普通に動画や音楽を再生してもウーファーが鳴らないので半ばあきらめていた。

だがあることからまたウーファーを鳴らそうと思って調べているうちに解決することができた。

M2N-EにはADI 1988 8-channel High Definition Audio CODECが搭載されているM2N-E | Motherboards | ASUS Global

普通はこのASUSのページからM2N-EのWindows(64bit)用のドライバを落とせばいいと思ってしまうだろう。

だが、ドライバが1つもアップされていない。

そこで普通ならVista(64bit)を選択してドライバが出てくるのでこいつを落としてインストールしようとするだろう。

だが、これでは全くもって解決しない。なんとASUSP5Bのドライバをインストールすることで解決できた。

P5BにはADI 8-channel High Definition Audio CODECを搭載してるので1988か分からないけど互換性はあるのだろうhttp://www.asus.com/Motherboards/Intel_Socket_775/P5B/#specifications

P5BのページからAudioドライバを落として入れるとSoundMAXオーディオ設定がタスクトレイに常駐するようになるのでリスニング環境のSonic Focusを設定すればバスマネジメントもできる。

これで万事解決。もちろんやるなら自己責任でお願いします。

元ネタhttp://aboutnewtech.com/soundmax-windows-vista-audio-updated-drivers-analog-devices-asus/hardware-graphics-cards-motherboards/windows-drivers

解決のモチベをアップさせた動画D

教養としての戦争映画・ドキュメンタリー

以前お勧めの戦争映画(戦時を扱った映画?)やドキュメンタリーをリストアップしてくれとid:Lark_mpに言われたので備忘録的な何かを残しておこう.

ナポレオン戦争

  • Master and Commander: The Far Side of the World

WWII

多いのでお勧め順

  1. 秘録 第二次世界大戦 THE WORLD AT WAR
    • グロ注意
  2. 黙示録:カラーで見る第二次世界大戦
    • グロ注意
  3. ドキュメント太平洋戦争
  4. 映像の世紀
  5. ザ・コクピット
  6. アニメンタリー 決断
  7. Band of Brothers
  8. Saving Private Ryan
  9. Memphis Belle
  10. Das Boot
  11. Letters from Iwo Jima
  12. ヒトラー 〜最期の12日間〜
  13. パットン大戦車軍団
  14. ウィンター・ウォー/厳寒の攻防戦
  15. Enemy at the Gates
  16. Casablanca
  17. 空軍大戦略
  18. 遠すぎた橋
  19. 頭上の敵機
  20. カティンの森
  21. ライフ・イズ・ビューティフル
  22. スパイゾル
  23. ラストエンペラー
  24. 流転の王妃・最後の皇弟

あと東部戦線でドイツ軍視点の映画があったんだがタイトルを思い出せない

朝鮮戦争

  • Tae Guk Gi: The Brotherhood of War

キューバ革命

  • チェ28歳の革命

ソマリア内戦

  • Black Hawk Down

今後見たいもの

8月のまとめ

1ヶ月以上間をあけてしまったのでとりあえず8月のまとめをば

小旅行

航空クーポン券の期限が切れ掛かっていたのでボスが夏休みの間に急いで使うことにした

札幌

新千歳空港は利用したことはあるが札幌では降りずにトマムにしか行ったことがなかったので
札幌散策にでかけた.


新千歳から電車にのってる間に千歳なうをtwitterでポストしたらid:hyuga226がお休みという
ことだったので迎撃してもらうことにした.しかし,それまでたっぷり時間があったので
時計台⇒ラーメン⇒北大と散策した.


北大には小学校のときの親友がいたのでメールするとたまたま研究室にいるということだったので
北大を案内してもらった.北大は広くてのんびりしてて環境は最高だった.彼は俺の53万倍くらい
リア充生活を送っていたので羨ましかった.


そして友人と別れたあとは日向大佐に市街を案内してもらった.が,とらのあなアニメイトとマック
という札幌にきてまで行くべきではないところに案内してもらったw しかし,札幌のJKは綺麗だったな.

熊本

札幌から戻ると空いてる路線を探して今度は熊本に向かった.
熊本空港から市街に出る九州産交バスのアナウンスがスザンヌの声でなんとなく笑いそうになった.


市街に着くとまず熊本城に向かった.西南戦争で西郷軍が攻略できなかった城はどんなもんか一度
見ておきたかったというのが理由だ.本丸の展示スペースでは熊本城に関わる偉人が取り上げられていたり兵器や文化財が展示してあった.


その後,中心街で熊本ラーメンを食べてお土産を買って帰宅した.

EVフォーミュラ

友人が電気自動車のフォーミュラーカーを作ろうという提案を4月からずっとしていたので
なんとなく乗ったら本当にやることになった.


シャシーとかボディーはエンジンのフォーミュラーカーを作っている部活から譲り受けて
素人集団が見様見真似で2週間程度でなんとか組み上げた.一番暑い時期に工房に篭って
作業したのはかなり堪えたがものづくりの楽しさがやみつきになってしまった.
ってか2週間くらいだったけど結構しんどかったのでこれを一年中やってるエンジン車の
メンバーには敬服してしまった.


一応記事になっているので貼っておこう.
メカ設計フォーラム - MONOist(モノイスト)

交信の流れ

開局してから1ヶ月程度たったがやっとQSO*1できたので,実際の運用についてのメモをば

呼び出し周波数にあわせて受信する

俺の持っているリグ*2であるVX-3は144MHz帯と430MHz帯で送受信することができる.自分のQTH*3では430MHz帯がよく入感するのでここで誰かとQSOしたいと思っていた.


まず,誰かに呼ばれるか呼び出さないと交信は始まらない.
ここでアマチュアバンドプランを見てみると433MHzに読み出し周波数というものがある.こいつに周波数を合わせておくとQSOしたい人から
CQ CQ CQ こちらは J○×△□▲ 入感の局がございましたらツーポイント○○でQSO願います」
と受信することがあるので432.○○Hzにあわせてみる.

レポート

QSOする周波数を合わせたら
CQ CQ CQ こちらは J○×△□▲ 入感の局ございますか?」
と入るので他の局がいなさそうだったら

「J○×△□▲ J○×△□▲ こちらは J●×□▲※ ジュリエット*4〜〜 入感していましたらQSO願います どうぞ」
と発信してみる.相手が自分の電波を取ることができたら交信してくれる.
すると相手は大体
「J●×□▲※ こんにちは こちらはJ○×△□▲です ○○県××市△△区 こちらからレポートいたします 59で入感しています」

と返してくるはずである.59というのは了解度とシグナルの強さを表している.了解度は5段階なので5ならば非常によいということになる.9はシグナルの強さなので受信機のメーターを見ればよいと思う(単純にSメーターの指す値ではないという話がどこかのページに書いてあったが失念した)

ログを取る

2010年現在電波法60条によると

無線局には正確な時計および無線検査簿,無線業務日誌その他総務省令で定める書類を備え付けておかなければならない.ただし,総務省令で定める無線局については,これらの全部又は一部の備え付けを省略することができる.

とあるので無線業務日誌を付けなければならないわけだ.
そこでTurbo HAMLOGという便利なツールがあるのでこいつを導入した.ログには相手のコールサインと時刻,QTH,シグナルレポートを記載しておく.

QSLカード

QSOを行うと互いのコールサインやレポートなどを記載したカードを交換するのが習慣である.
しかし,カードの転送サービスはJARL*5に入っていないと受けられないので協会に入っていない場合は直接相手の住所を聞き出すか電子QSLを送るなどの手段がある.もちろんノーカードという例もある.

Turbo HAMLOGにはQSO bankというサービスを介して電子的なQSLカードを送るサービスが利用できるので自分はそれを利用している.但しこれは相手もそれを利用していないといけない.

まとめ

とりあえず最低限やることとして

  • 呼び出し周波数に合わせる
  • 相手の指定する周波数に合わせる
  • 他に交信している局がなかったら交信する
  • レポートする
  • ログをとる
  • (QSLカードを送る)

ということだと思う.まだまだ知らない用語や習慣がいっぱいあるので少しずつ学んでいきたい.

*1:交信

*2:受信機

*3:送受信している場所

*4:Jのフォネティックス

*5:日本アマチュア無線協会 年会費7000円

コミケに行ってきた

コミケに初めて参加した.
とりあえず戦利品は

  • STRV(天の河):"HPA & Analog Vol.3," MLKWY Industry, 2010年8月14日,http://www6.atpages.jp/mlkwy/
  • terror:"できるかも Kernel based Virtual Machine 仮想化," ZaWorld, 2010年8月
  • 撮影できますP,備州長船,すすたわり,美千花,乾ないな:"FPGA技術 Volume 5," すすたわり,2009年8月15日,http://www.susutawari.org/
  • BOSUKE: "AVRを使ってIrDAとUSBでどうにか," 電脳律速, 2009年8月15日

会場ではアマチュア無線を使う人がいるという情報を手に入れたのでVX-3を持っていってワッチしたがすごかったな.
「こちら○○.××を確保しました.△△さん□□の新刊はどうなってますか?どうぞ」
「こちらも新刊確保しました.また電波出します.どうぞ」
みたいな感じでコールサインとか定期的に出してなくて法律に触れそうだけどすげぇ有効な使い道だな!


手に入れた新刊は1冊だけだがまぁよしとしよう.(一応100円の新刊と思われる冊子も手に入れたが)
しかしあの熱気はやばかった.普通に熱中症で運ばれてる人もいたし.
特に東方の人の多さは異常だった.
明日はさらに暑くなるみたいだから参加する人の武運を祈る.


それにしても電子工作のサークルすごいな.
なんか胸が熱くなったわほんと.
俺もやる気だして頑張らなきゃな.

エルフェンリートの聖地巡礼してきた

エルフェンリートを見てからどうしても巡礼がしたかったので7/18に行ってきた.
移動手段は自転車.
渚橋から江ノ島まで相模湾沿いに聖地を巡っていった.(長谷駅周辺と佐助稲荷神社はまたいつか)






















なんか大道芸やってるSYO!とかいう人がいたから撮ってしまったり肝心の聖地の写真がなかったりして相当残念なことになっているが長谷と佐助稲荷神社以外は巡礼した.


さすがにこの時期は暑すぎてやばかった.由比ガ浜wikipedia:イエス之御霊教会の人に布教されるとか帰りに珍走団に絡まれたりしたが楽しかった.


今度は青い花も履修してから行こうかな.
ってか年々自分の中の湘南のイメージが変わっていくような気がするw


D
ちゃんと巡礼した人の動画があった